ねこと子どもと時々社長

ねこを飼って気づいたことがあります。ママになって気づいたことがあります。社長になって気づいたことがあります。それは、いつも「幸せ」や「豊かさ」に囲まれていること。通り過ぎてしまいがちの「幸せ」や「豊かさ」に気づくためのブログです。

弔電

お葬式に行ってきました。


簡単に言うとうちのスタッフの旦那様のお父様のお葬式。

だから顔も遺影で初めて拝見しましたし、どんな人かも存じ上げません。

だけど、お葬式でその人がどんな人だったかだいたいわかるよね。
というか、最近わかってきた。仕事上、お付き合いなどで慶弔事に参加することが増え、
色んな場面を見ているとその人柄が見えてくる。というか想像できる。


以前はお通夜やお葬式にたくさん参列者がきていると
人柄が良かったのかたくさんの人に見送られるいい人だったのかな~と感じていたけど、そうじゃない。

参列者の多い少ないで判断できるものじゃない。

今日のあたしみたく、故人の顔も知らない、どんな人かも知らずに、言葉は悪いかもしれないけど「お付き合い」の人がたくさん来てるだけかもしれない。

ただそれも故人のお人柄の一部分であっていいも悪いもない。

だから、自分の時はどうなるのかな~と想像してしまう。
自分のお葬式のときにたくさんの人に参列して欲しければたくさんの人とお付き合いするだろうし、
そう思わない人はそうじゃないだろうし。

まぁ、自分のお葬式のために自分の行動や考えを決めるってのも不自然な気がするけど。
どうやって死んでいくかって考えることはどうやって生きるかってことにもつながるからね。



今日参列したお葬式でびっくりしたのは、弔電をくれた人たち。
弔電こそ「ザ・お付き合い」って感じがするじゃん。

国会議員とか地方の議員さんから始まり、親族の勤務しているもしくはしていた会社のお偉いさんからとか。
ここの政党を支持してたんだ~。とかわかるじゃん。

そんなところにお勤めに行ってたんだ~。ってわかるじゃない。

市役所に勤めていた人は市長さんから弔電がくるし、●●製作所で定年まで勤めあげた人は●●製作所から弔電がくる。

実際にあたしの会社も従業員の家族や取引先関連でお葬式がある場合は弔電を出すように決めてある。

その「ザ・お付き合い」の弔電の差出人の読み上げを聞いていると、いつもと違う。
聞き慣れているやつと違う。


まず、一番最初に読み上げられるはずの政治関係の名前が一切ない。


これ逆にかっこよくない?
もし、あたしが今死んだら、ほとんど会ったことないような議員さんからとかたぶん弔電くるな。
あの事務的臭がぷんぷんしたやつ。


それがないの。
それで、読み上げられる名前は、「北海道の○○より」とか「大学同窓生の○○です」とか、
決め手は「お世話になった○○、イギリスより」!!


享年85歳のおじいさんのもとにイギリスから弔電が届く。
かっちょよすぎるだろ…。じいさん。



素直にすごいと思った。
すごいと思ったのはそれだけじゃないの。
弔辞を読んだのは大学の同級生のおじいさま。

学ランに同窓記念の旗を背中につけて、学帽をかぶって登場。
よく見なかったけど、足元下駄じゃねぇのか?!って思うような格好で。

その方の語るエピソードもおもしろい。学生時代のエピソードをおもしろく懐かしそうに語ってくれた。
お葬式で笑いが起こるのも初めてでしたよ。



その弔辞でも紹介されたけど、故人は日本100名山をすべて登破されたそうで。
日本の山にあきたらず海外の山まで。

もうね、冒険家の域ですわ。

冒険家のお葬式に参列させてもらったって感じだね。
だから各地から弔電が届き、素敵な弔辞が読み上げられる。
やっぱりお葬式にはお人柄が出ます。

親族代表の挨拶で、
「たった85年の人生を歩んだだけ。これからは宇宙という場でみんなを見守る。と故人が言ってるような気がします」という締めの挨拶。

なんかすごいじゃん。やっぱりすごいじゃん。故人がすごいと親族もすごいの?
亡くなって尚、活躍の場所を宇宙にうつすっていう考え方。
本当に宇宙のどっかの惑星で山登りしてそうじゃん。
まだまだ登りてぇって言いながら。


素晴らしいお葬式に参列させてもらいました。